東新宿〜若松河田〜曙橋〜新宿(前編)

傷心した自分を慰めるべく文章を書き散らしたいと思います。
まだダメージが残っているのか今朝トイレットペーパーをかえようと
新しいロールをとったら手からすべりおちていきました。そのまま便座の中へイン。
トイレットペーパーの吸水力のすばらしさを見せつけられました。


さて先日、友人エイコとともに新宿界隈をお散歩したときの記録です。
東新宿駅で待ち合わせました。わたしは副都心線東新宿まで出たのですが
渋谷駅の近未来的なたたずまいが好きで写真を撮りまくりました。
でも地下に途方もなく深すぎると思う。エンドレスエスカレーター…。


東新宿駅A2出口を出て抜弁天通りを若松河田駅方面へ歩きます。
まもなくすると少し路地に入ったところで久左衛門坂に出会います。


工事のおじさんに「史跡巡りかー!いいねえ!」と声をかけられあいまいな笑顔で応えました。


久左衛門坂の裏手に梯子坂があります。梯子をのぼるように急だからそう名付けられたとか。
坂に特別思い入れのないエイコもここは良いね!と感想をもらしていました。


抜弁天通りに戻り反対の路地に入り法善寺へ向かいました。七福神の一人、寿老人がまつられています。

寿老人300円とは…?
うむ。 


今回も「タモリのTOKYO坂道美学入門」を参考に坂をめぐっているのですが
道がマイナーで時々不安になりました。ここでは墓地の中を通り抜け。

ニャー発見!

呼んだ?  


次は西向天神社の山吹坂です。
江戸城を築城した太田道灌の山吹伝説に由来する坂のようです。階段坂ですね。

道灌が農家に雨具を借りに行ったのに少女から山吹を渡されて憤慨していたら家臣から
「七重八重花は咲けども 山吹の実の(みの)一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて
奥ゆかしく答えたのだと教わり、道灌は自分を恥じてそれ以降歌道を勉強するようになったとか(wiki情報)。


貸せる雨具もない貧しさを実をつけない山吹に例えて歌にたくすなんて、つつましやかで気が利きすぎています。
現代に生きてはてなユーザーになっていたら、気の利いたブックマークコメントであっという間に人気者でしょうね…。
歴史上の人物すらねためる自分の卑しさが愛おしいです。


この貧しい少女の名は紅皿というのですが、お墓が近くにありました。

その裏にニャー発見!
お前らにゃーにゃーうるさい。


さっきのネコは真っ白で今度は真っ黒。
「白黒はっきりしているネコが多いね」とコメントしエイコに冷ややかな対応をされました。紅皿はまだ遠く…。
次はまた抜弁天通りにもどり、まっすぐ若松河田を目指します。
途中に弁天さんや犬御用屋敷跡などもありましたが、見どころが少ないので割愛します。


若松河田駅ちかくの小笠原伯爵邸です。スペイン式の洋館だとか。おっしゃれー。

中でお茶もできます。

しかし慇懃無礼のお手本のような店員さんがいるので、気をつけたほうがいいです。
怒りで我を忘れかけました。あぶないあぶない。


ここまででやっと半分です。長くなってしまったかしら…。二編にわけようと思います。
全体の地図しか作らなかったのですが、まとめの地図です。

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